私たちの知識の中のデタラメ
2007.5.27 |
私は、青葉地蔵尊や辻潤という人のことを調べてみた。一般には極めて片隅のテーマであろうが、それらを調べていく中で、一体、私たちの社会にはどれだけのデタラメがあるものだろうか、そういうことが私の一つのテーマのようになって行った。そこで、ここで少しばかり述べておく。
こうした調査を通じて、私は世の中あるいは世の中の本というものにはデタラメが多いということを知った。私が迂闊なだけで、そんなことは今更のことであるのかもしれない。私には、今までそういうことを調べる機会というものはなかった。さまざまなデタラメが行われていること、時にはそれらが暴かれ問題になること、そういうことは知っている。私は、そういうことをマスコミを通じてただ受け入れて来た。それと同じように、私はまずは世の中というものを信じて来た。それが第一次近似というもので、世の中の知識というものが、正しいか正しくないかといえば、正しいということにはなる。だが、どの程度正しいかを考えずに、ただ私は信じて来たものであった。確かに迂闊だった。
しかし、私が迂闊というだけではない。大抵の著者は、自分が述べることが正しいのだと言わんばかりに主張し断定しているのだから(これにも「合理的な」理由がない訳ではない。これも、第一次近似といってよく、詳細に述べることはしばしば冗長になる)。そして、私たちは、その自信満々の態度にダマされ、それを信じることを余儀なくされるのである。あることが真実ではないと言うには、そのことを語った人よりもさらに確かな知識を持たなければならない筈で、大抵の場合そんなことは不可能である筈だからである(後述するが、実際には、そうとは限らない)。私はたまたまあることを調べてみたから、幾らかそういうことが言えるというだけなのである。従って、私たちは、おそらくさまざまなデタラメがあるのだろうとは思いつつも、それをはっきりと示すことはできなくて、だまされ続けなければならない。
私たちは常にダマされている。私やある特定の誰かがそうなのではなく、また、それは今だけのことでもない。それが常態であったし、今でもそうであるし、これからもそうなのである。私たちはそれを現実として受け入れなければならない。しかし、この社会がそういうものであることを思い出せば、時には役に立つこともあるであろう。そして、未来の私たちの社会がどのようなものになるのかを考えるためにも、そういう考察が必要ということもあるだろうと思うのである。
私たちは全てのことを知ることはできない。大抵のことは、シロウトとして専門家が書き語るものによって教えられなければならない。私たちは、ただ教えられ、受け入れるのみなのである。それなら、その専門家というものは、はたして、どれだけ信用できるものなのか。私たちは、ただダマされているばかりではいられない。せいぜい、そんなことでも知りたいと思う。
おそらく、「辻潤年譜」などを読む人は、私がつまらない些細な事実にこだわって、各本にケチをつけているように思うことだろう。そう思ってもよい。しかし、私にも言い分がある。誰がいつどこに住んだか、そういうようなことの一つひとつは、片々たるどうでもよいような事実に過ぎない。しかし、そういう片々たるものを集めることによって、その著者がどれだけ正確であるのか、そういうことを判断する基準が得られるのではないかと思うのである(私は思想のような曖昧模糊としたものを直接取り上げるのではなく、もっと具体的な事実を柱にした方がよいと考える)。
世の中のデタラメということに関しては、T=ギロビッチ『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』という本を読んで参考になった。さまざまな健康法や超能力といったものも取り上げられているから、今の日本人にも有益な内容があるだろう。
著者は社会心理学者だが、さまざまなデタラメはどのような知識にもあるものだから、デタラメ学というようなものがあってもいいのではないかと私は思う。といって、既に述べたようにデタラメを指摘することは難しいことでもあるから、はたして「学」として成り立つものかどうかはよく分からない。
哲学が死んだと言われて久しい。現在、哲学というジャンルが必要なのかどうかも私には分からない。ただ、何と言われても哲学は生き残る。哲学とは知を愛することなのだから。そして、知識一般を対象とする哲学にとって、知識の中にどれだけデタラメがあるのかということは、一つの中心的なテーマであってよい。
もし、デタラメ学というようなものがあり得るのなら、それは「哲学的」な基礎を持たねばならない。一体、一般的な知識について、それが真実であるとは何を意味するのか?
私たちの社会では、実質がなく、見かけ倒しでも、見栄えがよいものほど高価である。デタラメに満ちているのも当然というものだろう。しかし、私たちは、そのデタラメを整理し、その正体を見極めねばならない。
それから、私は『科学者の不正行為』・『背信の科学者たち』という本を読んだ。『背信の科学者たち』を読んで、私は落胆というより悲嘆に近いものを感じた。
プトレマイオスが他人の観測データを盗用し、彼の説が約1500年も続いたということはおそるべきことだが、あんまり昔のことである。ガリレオの疑わしい実験やニュートンのデータ改ざんなども、ケプラーやニュートンには、その科学上の名声とは裏腹の奇妙な考えを持っていたことは知っていたから、そういうこともあるかという感じであった。ダーウィンが先駆的研究を故意に無視していたことも、DNAの二重螺旋モデルを提唱したワトソン・クリックが、やはりある科学者とその研究を故意にないがしろにしていたことがTVで放送されていたから(それに対しての反駁の本も出ているらしい)、そうだろう位なことだった。特にショックだったのは、比較的現代に近いメンデルとミリカンのケースで、メンデルのデータはうまく出来すぎていて何らかの不正なデータ操作があったらしいというし、電子の荷電量を測定したロバート=A=ミリカンも人為的にデータ操作を加えていたという。私の感じ方は随分偏っているが、とにかく、メンデルとミリカンについてショックだった。
日本人としてショックだったのは、野口英世である。野口英世は、ある人が用意した渡米費用を横浜かどこかの遊興で全て費消したとか、そんな伝記的人物らしからぬところのある人物だということは知っていたが、その研究が無価値になっているとまでは知らなかった。何でも、野口英世は、さまざまな病原菌を分離しスーパースターとなったが、ほとんどの研究が価値をなくしているという。しかし、『背信の科学者たち』は、どういう点で価値をなくしているのかを書いていない。昔の研究方法が現在通用しない価値のないものだというなら、当り前というだけである。野口英世が、何か不正なことをしたのかどうかも分からない。『背信の科学者たち』も十分に信用できないし、訳者は、少し補っておくべきだろう。それにしても、野口英世って、お札の顔になってるんじゃなかったっけ。価値がない研究をした人物がお札の顔になっているというのなら、随分立派な話である。
『背信の科学者たち』が、科学(者)がほかの分野とそんなに違った特別なものではないとし、その「人間的」な面を強調しているのは、この種の本としては当然のことだが、少しく公正さを欠いているように思う。
私が「科学」という言葉を使う時、大抵の場合、それは、理想的な科学を指している。現実の科学は人間によって作られるのだから、理想的なものとは異なるし、人間的な面があるのは当然である。しかし、現実の科学は、まだ、それでも、理想的な科学に近いのである。一体、この世界で、科学をおいて、ほかに真実の名に値するものが、どこに見出せるだろうか。魔術や占いなどというものは頼りにならない。宗教・哲学も全て信じる訳にはいかない。私たちが信頼を寄せるべきものは、ただ科学のみではないか。
そして、科学の門外漢である私がつけ加えることは、科学を含めたさまざまな知識のデタラメ、それは知識一般というものの在り方に由来するということである。
因果関係は、それほど確実な根拠を持っていない。A→Bという因果関係が認められてさえ、実はZという原因の方がより「本質的」で、実はZ→A→Bが起こっていたなどということもある。そして、仮説−検証の段階において、仮説なるものは、事実の集積からはほとんど生まれることがない。直感によるなどと言われるが、ほとんど偶然的なもので、それらの多くは捨てられる運命にある。科学そして知識一般というものは、常に多くのデタラメと共存しているのである。
そのことを認めた上で、そして、それだからこそ、あらゆる知識を疑う必要があるし、真実を追究する必要があるというものである。
私は、たまたま歴史や文芸に関係したことを調べつついてみた経験から言うのだが、本の著者というものは、他人の本の内容を鵜呑みにするだけで、それにホンの僅かの検討すら加えようとはしていない。勿論、それは既に述べたように、他人の書いたものを批判するためには、彼よりも多くの確実な知識を必要とするからである。しかし、実際のところはそんなこともないようである。極めて多くの本というものは、ごく単純な些細な検討を加えるだけでボロというものが幾らでも出てくるものなのである(些細なことから研究の不正がバレた例は、『背信の科学者たち』などにもある。近年のES細胞をめぐる捏造事件でも、バレるきっかけとなったのは、論文中に同一の写真を用いた複数の写真があったからだとTVが報じていたようだ)。だから、本の著者である専門家というものは、実は多くの本に目を通し、多くのデータを蓄えているだけという連中であると、ほとんど結論づけられる。ほとんどデータベースに過ぎず、その中身を切り売りしているというだけなのである(生半可な考察をしゃべられるよりは、基本的な事実というものだけを示してくれた方がまだよい)。彼らには、批判精神が欠如し、権威に容易く追従する傾向に満ちている。何か日本の教育というものがおかしいのではないかと感じざるを得ない。『人間この信じやすきもの』によると、社会心理学などは考え方を柔軟にし容易くダマされないことに役立ち、そのほかの学部・学科は考え方が硬直的で ダマされ易いということだが。私には、知識一般に対する誠実さに欠けていると言いたいし、哲学の素養が足りないと言いたい気もするのだが、けれども、一般に哲学と言われているものほど真っ黒いデタラメの塊はないのだからなあ、イヤハヤ。
以下は、やや気まぐれな雑感である。
辻潤、というより、青鞜・伊藤野枝に関して、岩崎呉夫の『炎の女 伊藤野枝伝』という本は高い評価を受けてきた。私はそのことに極めて奇異な感じを受ける。岩崎呉夫がどういう人かというと、私は、新装版『炎の女』〔自由国民社 1970〕の奥付に掲載されていた経歴と著書しか知らない。それは、以下のようなものであった。
岩崎呉夫
1925年 中国蘇州日本領事館に生る
国学院大学文学部卒
編集者を経て文芸論家
著書
芸術餓鬼 岡本かの子伝 七曜社 1962
燃えて走れ―“伝説”のレーサー浮谷東次郎 グランド・ツーリング社 1972
家族旅行の楽しみ方 朝日ソノラマ 1975
音楽の師梁田貞―人とその作品 東京音楽社 1977
音楽の師梁田貞―「城ケ島の雨」「どんぐりコロコロ」の作曲者 人とその作品 東京音楽社 1981
これを見ると、岩崎呉夫は、歴史とか文芸とか、とにかく何らかの分野の専門家という訳でもない。雑多なジャンルのもの書きというだけである。私が不思議に思うのは、そういう彼の『炎の女 伊藤野枝伝』が、辻潤・伊藤野枝あるいは「青鞜」関係者に、いやもっと広く歴史一般を扱う者にも特別に重きをもった本として受け取られたようだということである。よくは知らないが、『日本近代文学大辞典』や瀬沼茂樹『日本文壇史』など、およそ、伊藤野枝・青鞜・辻潤関係では、必ずといってよいほど参考文献に挙げられているという感じだし、そのほか、例えば、姜徳相の『関東大震災』という本でも、参考文献に入っている。およそ、1980年頃までは『炎の女』は珍重されたようである。『関東大震災』などは歴史のおそらくかなりまともな本だと思うが、岩崎呉夫の『炎の女』は、はたしてそれに見合うまともな本だと言えるのだろうか。
よく知らないが、『炎の女』は伊藤野枝研究についての先駆的な本なのだろう。それ故、高く評価されたのは当然なのかもしれない。これも、よくは知らないが、戦後、女性史というものが隆盛を見せたようで、とりわけ「青鞜」は研究の恰好の対象になったようである。中身は見ていないが、現在『青鞜人物事典』というものまで出されているようで、今では「青鞜」研究はおよそ一段落したものと思うが。そうした「ブーム」の先駆けとして、井手文子の『青鞜 元始女性は太陽であった』や岩崎呉夫の『炎の女』や瀬戸内晴美〔寂聴〕の「青鞜」を題材にした作品があったのだろう。
私は、『炎の女』といういかがわしいところの多い本を世に広め、また、辻潤年譜の間違いがなかなか改められなかったのは、瀬戸内寂聴〔晴美〕の影響が大きかったのではないかと考えている。
以下、瀬戸内寂聴のことを書くが、私は瀬戸内にあまりよい印象を持っていない。何年か前に、人は何故人を殺してはいけないのか、ということがジャーナリズムでちょっとしたブームのようになったことがあった。確か『文藝春秋』で特集を組んで、著名人にその答えを求めて、それを発表していた。その中に瀬戸内の回答もあったが、瀬戸内は何故そんなことを訊くのかと、まるでそんなことが問題になる世の中が悪いというように怒っているだけだった。瀬戸内の指摘も意味がないというのではないが、確か、あのブームは子供が母親かに訊ねたということがそもそもの始まりだったと思う。私たちは子供のそうした質問に、ともかくも真剣に答えねばならない。人を殺すことは悪いことだとは誰でも知っている。しかし、それにもかかわらず、何故、日本国内、世界中で人を殺すことが絶えないのか。瀬戸内のような答え方をするのでは、そうした問いにどうすることもできないだろう。私は、たまたまNHKの教育TVで、ある禅僧が出ているのを観たが、彼は人は何故人を殺してはいけないのか、そういうことを考えて禅僧になったと言っていた。瀬戸内に比べれば遥かに無名なこの禅僧の方が瀬戸内よりよっぽど立派だと私は思う。以下、瀬戸内の書いたものにケチをつけるが、瀬戸内が気に食わなくて書くのではない(と思う。ここで、私は2006年の文化勲章受賞記念というジョークを付け加えたいように思ったが、やめておく)。
井手文子が編集した『伊藤野枝全集』上巻には、瀬戸内寂聴〔晴美〕と秋山清の対談が収められている。全集としては、やや異例だが、井手文子・瀬戸内寂聴の両者にとって本を売り名を高めるのに都合がよかったし、そのようなもので「青鞜」などの「研究」の方向を示さねばならない時代だったということだろうか。
その対談の中に次のような箇所がある。
秋山 辻潤は、いわゆる世間普通のいい方でいえば、マイナスな生き方ですから、世間にそのまま通じませんが、やはり中味というものが、辻潤でなければならないものがありますからね、それは岩崎呉夫さんの書いた『炎の女』にも非常に丁寧にそこのところが書いてある。
瀬戸内 あの方のお仕事は、ほんとに丁寧ですね。
瀬戸内寂聴は、秋山清の岩崎呉夫が辻潤の生を丁寧に書いてあるという言葉を引きとって、岩崎呉夫の仕事全般が丁寧だと言っているのである。事実の片々を勝手な想像を駆使して組み立てることが、丁寧な仕事なのだろうか。
また、瀬戸内寂聴の『諧調は偽りなり』上 p.236には、『辻潤著作集』の辻潤年譜について次のように述べている。
その後、辻潤ブームともいうべき潮がおしよせ、堂々とした「辻潤著作集」が全六巻、別巻年譜つき全七巻となってR出版から出されている。初版は昭和四十四年十一月で、五十一年には再版も出ている。この別巻の年譜は菅野青顔と高木護二氏が作成したものだが、放浪癖の居住の定まらぬ辻潤の足跡をたどるだけでも、どんなにか苦労であっただろうと察しられる見事な労作である。明治十七年十月四日に生れ、昭和十九年十一月二十四日まで六十一年の生涯を生きた辻潤について、現在これ以上の精細な記述は得られないだろう。
(R出版というのは、瀬戸内寂聴の錯誤で、正しくはオリオン出版社。)
この下りは、私には印象的であった覚えがあるし、
山本夏彦が『無想庵物語』の中で、寺島珠雄も「辻潤、晩年の一断面」の中で引用しているので、ほかの人にも同様であったことが知れる。それを読むと、辻潤年譜は非常な苦心をして出来上がったもので(そのことは否定しないが)、ほかの人には到底成し遂げられない労作であり、それを検討してみても無駄である、そういう感じを受けるのである。実際はどうか。辻潤年譜位ひどい年譜はない、それが当然の評価というものである。
一体、瀬戸内寂聴には何が分かっているというのか。いい加減なことを言うのは、止めてもらいたい。私にはそういう思いがどうしてもぬぐえないのである。
そうしてみると、瀬戸内寂聴の書くことがいちいち気に障ってくる。辻潤と武林無想庵について、「 この頃、辻潤は武林無想庵と知りあい、たちまち互いに理解しあい無二の親友になってしまった。」とある。私は、辻潤と武林無想庵が親友であったことを否定しない。無二の親友といってもよいかもしれないと思う。けれども、そういう言葉で割り切ってしまっては誤解を招くだけだと思う。いろいろなことがあるが、究極的には、互いが互いにとって、不要な人間であったともいえるのである。
また、辻潤は語学の天才だったと瀬戸内は書いているが、天才らしいところは、まず、ないと思う。辻潤は、中学校や国民英学会で、おそらく5年半ほど英語を習い、17歳から20歳位にかけては、ほとんど英語の本だけを読んだと言っている。そして、学校を出てから、上野高等女学校に至るまで辻潤は英語の教師であったのである。長い年月をかけて英語を覚えて来たので、ある程度英語をこなせるのは、当然である。翻訳書を出してからも英語の辞書は必要だったが、これも普通のことである。
語学の天才のように見えるのは、辻潤が英語やフランス語などから造語した種々の題の作品があるからではないか。けれども、それは萩原朔太郎の「ふほふく」〔フォーク〕のような特別なものではない。語尾をラテン語風にしたりして、それから素直に日本語の音を並べただけのものといってよい。近頃では類語辞典のようなものがあるから、バカ・マヌケ、ごちゃごちゃした、というような意味の単語を拾って、そこから「辻潤語」を作るのは造作もないことである。
辻潤は翻訳家として世に出たし、数冊の翻訳書を出しているが、当時の文芸作家が翻訳書を出すのは極めて普通のことであった。辻はだんだんと翻訳書を出さなくなるが、その理由の大きな部分は、特に英語の翻訳者が多くいたということにあるのに違いない。辻の翻訳は、勿論彼独特の調子といったものがあって、すぐれているとは思うけれども、大体逐語訳に近いもので、この点でも天才的なところは少ないといえる。
瀬戸内寂聴は、私でなくっても誰かから多くの間違いがあると指摘されても、私は小説家で研究者ではないと答えるに決まっている。不思議なことだと私は思う。それなら、それを読んで書かれたことを信じた読者はどうなるのか。最初からアホウとみなしているのか。瀬戸内寂聴は軽率で思慮に欠け、その書くことは読者受けのする方向に強く歪んでいると私には思われる。
私には、これ以上、瀬戸内寂聴について何も言う資格はない。彼女の書いたもので読んだのは、『美は乱調にあり』・『諧調は偽りなり』・『かの子てへん+寮乱』と、それから『青鞜』をざっと読んだというだけである(いずれも面白く読んだ)。ただ、独断で瀬戸内寂聴なんかには、人生の真実は分からない、そう思っているだけである。
おそらく、各著者は真面目なので、読者をダマそうというつもりはなかったのだろう。辻潤については、私は玉川信明くらい真面目な人はいないと思っている。しかし、玉川信明は『ダダイスト辻潤』の中で、自分の述べることを補強するために、原資料に改変を加えて、それを示してさえいる(正しく直したつもりになっているなど、さまざまな理由があるのだとしても)。知識一般に対する誠実さに欠けているように私には見える。
ケチばかりつけるのがいやになっている。岩崎呉夫や井手文子や瀬戸内寂聴などについては、青鞜研究の先駆者としての功績を述べないと、釣り合いが取れないのではないかとは感じている。しかし、私はそんなことはしない。大体、私のようなシロウトが、誰かをほめたり、その功績を述べたりするなんてことはおかしいというものである。辻潤年譜を作成しながら、『ダダイスト辻潤』の著者、玉川新明(最近、著作集を出されているが、その完結を見ずに亡くなっている)はよく辻潤を読んでいると感じた。そして、そのことに感心はしたが、その意見の全てに賛成というのでもなく、賛美もしない。ほとんど、どんな本・著者に対してもそういう気が起こらないのだから仕方がない。大体、私は、辻潤にしろ伊藤野枝にしろ、また夏目漱石や森鴎外などといった文芸の大家にしろ、その生やその文章を知ることが、私たちが未来を開くのにどれだけ必要なものなのか、そういうことが分からない。おおよそ、小説のようなものが人生の真実を描いているというのは、錯覚のようなものという考えに私は近づいている(人生の真実を描いているといるように見えるというだけでも大したものだとは言うべきである。キラキラ光るものが宝石だとは限らないが、宝石を見つけようと思うなら、キラキラ光るものを探すべきである)。だから、誰であれ、私は誉め称えることはしない(例外は、現在のところ、生物学者のグールドだけである)。私は、ただ、自分の調べた些細な事実というものについて、あれこれケチをつけるのみである。(ケチをつけっぱなしだと、あとで自分に跳ね返ってくるのが恐いが、それは覚悟して、そうした方がよいと思っている。) 辻潤とか伊藤野枝などという一般の日本人にはあまり関わりがないであろう人物についての知識に関して、一部の「知識人」の間で、どのようなことが起こったか、近年起こったその歴史を垣間見せることができるというだけである。
何が起こったのだろう。ここであまりに詳しく述べることはしないが、岩崎呉夫・井手文子と瀬戸内寂聴の間で、相互依存関係というものが形成されたようである。そして、こういう関係は一般的に強固で長く存続するものである。岩崎呉夫の言うことがおかしいのではないかと思ったとする。しかし、彼のことは瀬戸内寂聴が認めているのだからなあ、と思い直す。一方、瀬戸内寂聴の方では、私は岩崎呉夫の調べたことを元にして書いているだけだと言うだろう。AとB二つがあって、Aの正しさはBに依存し、Bの正しさはAに依存しているという相互依存関係があったとする。AとB個々を見れば、それぞれが正しい根拠を持っているように見えるのだが、AとBの全体を見れば、そこには何の根拠もありはしないのだ。こんな簡単な相互依存関係が成立しただけで、その理解というものを困難にさせるものらしい(このような相互依存関係は、ほかにも日本の歴史の中にも発見できるものである)。
しかしながら、そうした彼らの活動もあって、女性史やら「青鞜」への関心も高まり、研究者というものも増え、伊藤野枝については、徐々に間違いが訂正されていったということだろう。しかし、辻潤については、そういうこともなく、20年位その年譜の誤りが指摘されながらも、今日に到るまで改められていないという状況にある訳である。
時とともに人の記憶は薄れて行く。また、時代とともに過去のある事実に直接関わり、その記憶を持った人が亡くなって行く。そうした時間の経過の一方では、全集などが編まれて、雑誌などに散逸していた文章を見るのに便利になる。私が辻潤年譜を作成するには、そうした全集などに大いに世話になった。私は、そうした便利なものの恩恵に預かれる立場にいて、そこにあぐらをかいて、そうではなかった人たちを批判している――訳ではないつもりである。例えば、伊藤野枝については、伊藤野枝の著作と『青鞜』などの雑誌は、伊藤野枝研究者ならば当然読んでおくべき基礎的な資料というに過ぎない。しかし、井手文子や岩崎呉夫は、それら基礎的な資料にすら矛盾する多くのことを書きなぐっているではないか。私が誠実さがないと言って非難したいのは、そういう点なのである。
私は不思議に思う。誰かが有名な作家であること、高名な学者であること、そういったことは、私たちが正しい知識というものを手に入れるための手掛りにほかならないのである。しかし、そういった人たちも正しいことだけを述べるとは限らない。時にはデタラメも述べるのである。その人たちを信じることで、読者はそういうデタラメも強く信じてしまうことになる。はたして、私たちの社会では、正しい知識というものの割合が時代とともに増えて行く、そういう保障があるものなのだろうか。そういうことが原理的に(「原理的」という言葉は歴史的に汚れた言葉かもしれない。ここでは、近似的なモデルを使ってという意味)、また経験的にいえるものだろうか。このような問題は、今後の私の課題でなければならない。
ついでに、瑣末なことだが、引用注のことを書いておく。
私は、先の「辻潤年譜」では、本の名前程度の、「偽りの青葉慈蔵尊」では、もう少し詳しく、引用注を入れておいた。それは、私が無名であるために、そうしないと誰も私の語ることを信じないだろうと思ったからである。今回の「辻潤年譜 Tada of Alangri-Gloriban」でも、やや詳しく引用注を入れたが、それだけの理由でそうしたのではない。
引用注といえば、欧米の本では、詳しく入れるのが慣例となっているようである。日本では、慣例とまではなっていないが、それも理由はあるだろう。大体、引用注なんてものは、ほとんど誰も見やしない。専門家ですら、引用注に示された文献と引き比べて本文を読むなんて面倒なことはしていられない。それは当然の話である。シロウトならば尚更で、膨大な引用注は、こんだけ私は調べたんだぞという、著者が自らの知識を誇示するための広告に過ぎないものであり、ある意味イヤミなものである。
そして、引用注もまた正しいとは限らない。一つだけ例を挙げる。
私は、ピュリツァ賞を取ったというハーバート=ビックスの『ヒロヒト』という本の翻訳『昭和天皇』を読んだ。ビックスはアメリカ人だし、歴史の本だから、そこにも詳細な引用注が施されている。たまたま、引用文献の一つを手にしたから、それらを引き比べてみるということをやってみた。すると、その中に引用になっていない不適切なところが一箇所あった。これだけなら、人間だから、ついうっかりのミスもあるさというだけなのだが、噴飯ものだと思ったのは、『昭和天皇』の「監修者あとがき」に次のように書かれていたからである。「ビックスが典拠としている日本語史料や日本語文献については、正確を期するため、すべてコピーをとって翻訳者に手渡し、文意が取りづらい箇所については、翻訳者が直接ビックスと連絡をとって協議することにした」〈「監修者あとがき」『昭和天皇』下 p.337〉 これを最初に読んだ時、私は、如何にも学者らしい慎重で緻密なやり方だと感心したものだった。しかし、引用注に不適切な箇所があると知った今では、この文章はやや違った風に読める。『昭和天皇』の翻訳者は日本史の専門家である。すべての典拠のコピーをとって翻訳者に渡す必要がどれ程あったのだろうか。むしろ、「監修者あとがき」が暗示しているのは、(内容はともかくとして)ビックスの引用には問題が多いということではないだろうか。そして、そのように注意して翻訳作業を行っても、なお不適切なところが残ったということではなかろうか。
いかに引用注が膨大であろうと、それにダマされてはいけない。そこには虚偽があるかもしれないし、また大抵の場合、それは著者が殆ど何も考えずに目を通したというだけのものかもしれないのである。
ただし、「量が質に転化する」ことは、知識の基本として承知しておくべきである。およそ、A・B二つに記載があるものは、Cだけに記載があるものより正しい可能性が大きいとしたものである。一般的に参考文献の示してあるものは、そうでないものより信頼がおけ、引用注が施してあれば、さらに確実とみてよいだろう。司馬遼太郎の歴史ものなどは人気があるようだが、この基準からすれば、信用できないものである。
引用注は何かの場合により詳しいことを知りたいという読者のための道標である。そのほか、もう一つだけその意義を述べておきたい。
自然科学の分野でもさまざまな虚偽がある。ES細胞をめぐる騒動などが、記憶に新しいところだろう。しかし、自然科学の分野では比較的速やかにその虚偽が暴かれる。それは、その再現性が試されるからである。
自然科学のほかの分野では、私は、引用注が、再現性というものの代わりをすると考える。必要なら、誰でも、いつでも、引用に示された資料を調べて、著者が本文に書いたことがどれだけ正しいのかを調べることができるという意味で、再現性の代わりになると思う。引用注はほとんど誰も見ないから、ページあたりの効率なども考えねばならないけれども、引用注や参考文献の表示もなく、著者が何を根拠に書いているのか問題になるのもよくある話。総合的に判断して、どちらが効率的だろうか。とにかく、再現性を重んじるなら入れておくべきだと思う。サイズがほとんど問題にならない筈のネット上の文章なら、なおさら、引用注を入れるべきと思うが、これも総合的な効率の問題ではある。
引用注としてページのほか行まで指定している本をみたことがあるが、とても面倒でやりきれない。私は、引用したものが本だと、そのページまでは入れておくのだが、インターネット時代では、引用資料が本というのも段々廃れて行くことだろう。html 文書にして、リンクを貼っておけば、引用の参照が容易とは言え、数が多いと、リンクが増えて、それも面倒である。文章の中の特定の文字列を指定して、簡単にその参照ができるような仕組みができないものだろうか。あと、やはり、コンピュータが賢くなって、人間程度に文章などを理解するようになって、つまらないチェックはコンピュータがするようになれば、ずっと便利になるのだろうけれど、それもいつのことになるのだろう。
T=ギロビッチ『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』 訳、守一雄・守秀子 1993.6.7初版第1刷 2002.2.22初版第9刷発行 新曜社 ISBN4-7885-0448-0 C1011〔『人間この信じやすきもの』〕
ウイリアム=ブロード・ニコラス=ウェイド 『背信の科学者たち 論文捏造、ダータ改ざんはなぜ繰り返されるのか』牧野賢治、訳 ブルーバックス B-1535 2006.11.20第1刷発行 講談社 ISBN4-06-257535-3 C0240〔『背信の科学者たち』〕
山崎茂明『科学者の不正行為 ――捏造、偽造・盗用――』H.14.3.25発行 丸善 ISBN4-621-07021-5 C3040
ハーバート=ビックス『昭和天皇』上下 吉田裕、監修 岡部牧夫・川島高峰・永井均、訳 講談社 2002.7.30第1刷発行 2002.11.25第1刷発行 ISBN4-06-210591-8 ISBN4-06-210590-X