宮沢賢治のこと

2009.3.21,27

 宮沢賢治といえば近年の人気ぶりは大したものである。賢治についての本は何千冊出ているのか。新幹線が盛岡から八戸まで延長された時、在来線が岩手銀河鉄道と名付けられた。よく知らないが、けんじワールドという遊園地が出来ている。既に何年か前の話である。
 賢治人気というものは、私には、寄ってたかってという感じを与え、砂糖菓子に群がるアリを思わしめた。勿論、それぞれの人には、それぞれの真摯な思いというものがあるのだろうし、そういうものを軽んじるわけにはいかない。けれども、こうした賢治人気というものは、私が賢治から遠ざかった一つの理由には違いない。
 近頃、賢治の年譜を調べる機会があった。それで、改めて私は、賢治は好きだなと思った。そして、久し振りに「グスコーブドリの伝記」や、可愛らしいミュージカル童話の「雪渡り」を読んだ。そこで、私の賢治についてのメモを記してみるのだが、それは、私たちの行為の規則にも関係があることだから、ここで示すのである。

「慢」というもの

 賢治が亡くなる十日前に教え子に書いたという手紙があった。それは、自分の身に引き移しても沁みるものがあった。

  私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸くじぶんの築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。

 私には、「身分」や「財産」はなかったし、「器量」もないようなもので、あったと言えるのは、僅かばかりの才能というものかもしれない。そして、私を滅ぼすものも、その憐れな才能についての「慢」であるのかもしれない。
 けれども、宮沢賢治が、そうした心の「慢」を、「今日の時代一般の巨きな病」と呼ぶ時、私は、はっきりとそれを批判し、否定しなければならない。
 どんな人の思想も、時代の産物であり、時代精神が生み出したものである。宮沢の思想もそうであり、そこには見過ごすことの出来ない、その時代が生んだ欠陥がある。
 宮沢が夢見る「慢」のない理想の人とは、「雨ニモ負ケズ」を引けば「アラユルコトニ自分ヲ感情ニイレ」ない人であるし、「グスコーブドリの伝記」のグスコーブドリのような、自己を犠牲にして、他人のために火山を爆発させようとしている人である。そして、ここで、宮沢のかなり有名な言葉「世界が全体幸福にならなければ個人の幸福はありえない」を引いておこう。
 私は、あのアジア太平洋戦争を思うのである。あの戦争というものは、はたして、日本国民一人ひとりの「慢」が生み出したものなのであろうか、と。そんなことはない。1945年の終戦の日、「玉音放送」の前に日本国民がどう思っていたかをみてみるとよい。大部分といってよい人たちが、あの放送を、裕仁〔昭和天皇〕が「本土決戦」を宣するのだろうと思い、その覚悟をするつもりだったのである。国あるいは裕仁のために、その身を犠牲にするつもりだったのである。そこに、どんな「慢」があっただろうか。もし、「慢」があったとすれば、それは、裕仁を含めた集団の頂点にいた政治家や軍人たちの「慢」であり、また、日本国民全体の「慢」というべきものである。それが、戦争を、また敗戦を生み出したのである。
 私たちは考えてみるべきである。もし、あの当時、国民一人ひとりに「慢」があったなら、つまり自己主張というものがあったなら、それは、戦争を防いだのではないか、と。

自己犠牲がそんなによいことだろうか?

 宮沢賢治が、あれほどに願った自己犠牲というものがそんなに「善い」ことだろうか? そんなことはない。私は、そのことを何度も繰り返して訴えたい。
 イエスはゴルゴダの丘の十字架上で磔になって死んだ。それは、アダム以来の人間の原罪から人類を救うためであったとは、パウロの解釈なのだが、どうして十字架上で磔になることがそういうことになるのかは、色々と言われているのだろうが、決して納得出来そうもない。
 私は、何もキリスト教を批判しようというのではないから、ここで止めるが、私が強調したいのは、自己犠牲というものは確かに「善」さというものに適うことが多い。しかし、他方から言えば、「善」のために、そうするのが必要ならば、そうして当り前なのである。自己犠牲が必要というなら、そうすべきなのは当然である。当然であるなら、賞賛する必要が、どこにあろうか。ありがたがる必要がどこにあるか。「善」というものは、自己犠牲よりももっと崇高なものである(だが、その先に困難があるのである。どうやって、ある行為が「善」であるということが出来るのか?)。

 今でも、自己犠牲という崇高な精神と書かれることがある。自己犠牲は、確かに困難なことであろう。また、それは「善」に近い。しかし、それだからといって、それが必ずしも「善」い結果を生むとは限らない。宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」では、グスコーブドリは、自分を犠牲にして、カルボナード島の火山を噴火させ、排出した二酸化炭素によって地球の気温を5度上昇させ、東北地方の農民を冷害から救ったのである。しかし、地球規模の気候変動はさらに大きな死と苦しみをもたらしたので、グスコーブドリは、歴史上の大悪人として語り継がれることになる。また、先の戦争における特攻兵のことも考えてみよ。私たちは、ただ「善」い未来のことだけを考えるべきであり、自己犠牲といった余計なことは、取り敢えず忘れてしかるべきものなのである。

 宮沢賢治は、1935年に死んだ。平和主義者の賢治だから、もし、賢治が生きていたら、戦争に反対しただろうと普通の人は考えがちである。ある人が、そうではなく、賢治が生きていたら、戦争に反対したどころか、戦争の讃美者になっただろうと語った。誰だったか、いつだったか、何でもラジオで聞いたような気がする。そのことは、賢治の所属していた国柱会の戦時中の活動を見ても分かることである。近年、そういう正統な賢治観が出てきたのは喜ばしいことである。
「世界が全体幸福にならなければ個人の幸福はありえない」はもっともだが、その「世界全体」というものの意味がはっきりしないというのは別のところで述べておいた。

 私たちの社会に、宮沢賢治のように自分の身を省みることなく他人のために尽くしたいという人がいるというなら、それは、それで結構なことで、何も文句をつける必要もないのである。しかし、そのような行為の規則は、私たちの社会のメンバー一人ひとりに、また、一般的に、採用出来るものではない。そんなことをすれば、どうなるか。武士道のように、武士道とは(主君のために)「死ぬことと見つけたり」となったり、戦前の日本のように、国民が天皇の「臣民」となったりするほかはない。そうではなかったら、一体誰のために生きるか分からなくなるだろう。そうやって日本の頂点にかつがれる天皇の方では、そんな重荷に堪えられず、何事も慎重になり、せいぜい出来ることは自分の保身のことだけになる。かくして、彼は、何もせず、何事もなすがままにまかせる。無能と無責任がはびこり、それが日本を戦争へと導いたのであった。

宮沢賢治、そのほか

 それにしても、去年(2008年)の六、七月の東北地方は、曇りがちで気温もさして上がらなかった。前にもあったから、そんなにでもないが、少しは米の作柄を心配したものである。冷害の心配である。ところで、私が思った。冷害とはいうが、米の成長を妨げるものは、低い気温なのだろうか。日照不足が主な原因ではないのだろうか。東北地方に冷害をもたらすのは、東北海上の冷たいオホーツク高気圧である。雨まで降らなくても雲が多く日が照らないと、気温は上がらない。日が照れば、気温は上がる。気温と日照時間量は正に相関しているから、どちらでもいいようなものだが、基本的には冷害というのは日照時間の問題ではないのだろうか。これが、今更ながらの私の疑問である。

 ある日の会話。

「ニンジンの葉に気味の悪い虫がついてよう」
「そんな虫、つぶしてしまえばいい」
「かわいそうじゃねえか!」
「何、宮沢賢治みたいなことを言ってんだ。そんな虫、ぶちぶちつぶしちまえばいいんだ」

 ほかにも汚いことを言うやつだったが、私は、そんな汚い言葉が嫌いである。
 私たちは、生き物を殺さねばならないことがある。しかし、ただ殺せばいいでは済まない筈である。
 ニンジンの葉につく虫。それはキアゲハの幼虫だ。それは、アゲハやカラスアゲハの幼虫よりは、奇怪な姿かもしれない。しかし、キアゲハを見て気味の悪いと思う者は多くはないだろう。

 いろいろ考えさせられる。
 宮沢賢治は、前世では自分は魚だったかもしれないなどと書いていた筈だ。たまに、肉(魚)を食べないと、スタミナが出ないというふうにも書いていた筈である。同感である。私は菜食主義者ではないが、肉や魚はあんまり食べていない。それでも、たまに動物性タンパク質、というより、肉を食べないとスタミナが出ないとように確かに感じる。
 現在では、焼肉が大好きという人が随分多い。そういう人でも、牛や豚が食肉加工場で殺されるところを見たなら、しばらくは肉を食べる気が起こらなくなるのではなかろうか。
 しかし、人間は複雑である。もし、牛や豚が殺されるところを一度見たなら、肉を食う気が失せるだろうが、二度三度と見れば何んともなくなるのである。こうして、かつて、善良なる日本国民は、中国大陸などで、平気で残虐行為を行なったのであった。

 殺生をしないことは仏教の戒律だが、初期仏教とジャイナ教は、ほとんど同じものであったらしく、ジャイナ教の戒律でもある。しかし、この点では、ジャイナ教徒の方が徹底していて、普段から口を布で覆っている、というのも口や鼻に小さな虫を吸い込んでしまわないように、ということであった。それ程、徹底しているのであれば、目に見えないバクテリヤやウィルスなどといった生物は、ジャイナ教徒にはどういうことになるのだろうか。
 生き物を殺すということでは、かつて、植物だって生きている、植物も食べてはいけないと言った中学生がいたとか、そんなことも思い出される。
 今日、日本の仏教僧で初期仏教教団以来の戒律を守っているものは一%もいないだろう。いるのは破戒僧だけであろう。決めつけは禁物だが、大体、仏教僧本来の乞食行を行なっている人など今までに一人として見たことはないのだから、まずそうであろう。それで、悪いとは言えない、クソ坊主のクソ生活であっても。何事も簡単には言えない。仏教学者の中には、仏教が生活に密着している東南アジア(所謂、上座部仏教)をうらやましそうに書いている人がいる。しかし、その方がマシだとも言えない。宗教が何らかの役をはたし、私たちに必要というなら、葬式仏教であってよいとも言える。それ以上の関わりはかえって弊害かもしれない。

 宮沢賢治の童話といっても恐ろしいところがある。 「グスコーブドリの伝記」の前の方の飢饉の描写、グスコーブドリの妹が簡単に男にさらわれていくことも恐ろしい。「風の又三郎」も、奇妙なあやしい雰囲気に満ちている。
 もうひとつ気付いたのは、賢治童話に出て来る特に子供たちが内気で shy なこと。柳田国男の書いたものによると、戦前の日本人、殊に若い女などは非常に shy で見知らぬ人に話しかけることはほとんどなかったとかという。賢治童話の文章は極めて特異だが、賢治にとっては、それが自然だから、そのように書いたように感じられる。しかし、昔、特に戦前の日本人の心性というものは、現代日本人と少し異なるのであり、現代の日本人には想像しがたいものであったらしい。


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