戦時中の日赤救護看護婦の実数は日赤公表数の半分であること2007.2.11 |
2006年7月、私は、『従軍看護婦たちの大東亜戦争』という本を手に取った。この本は、1977年頃にメヂカルフレンド社から出た先の戦争に従軍した日赤救護看護婦の写真・手記集である『ほづつのあとに』シリーズを集約したものである。
その巻頭に近衛忠W(このえただてる)〔日本赤十字社社長〕が言葉を寄せていた。そこには、1937年の日華事変に始まり第二次世界大戦終結までの8年間に日本赤十字社が陸海軍の要請によって派遣した救護班は960班、救護員延(の)べ35,785人(実人数26,535人)と記されている。
それから、たまたま、10月15日の『朝日新聞』を見たが、「写真が語る戦争」で、従軍看護婦を取り上げていて、そこにも同じ数字が掲げられていた。
従って、先の戦争に従事した日赤の救護班員の数、実人数26,535人、延べ35,785人というのは、日赤自身による公表数であり、また広く一般に受け入れられ使われている数字だということになる。
しかし、私は、この数字は疑わしく、実人数は、公表数のほぼ半分位であろうと考えている。一体、私のようなシロウトが、日赤自身が公表している数字に文句をつけるなどは、身の程知らずもはなはだしいというところだろう。しかし、理由はある。これからそれを説明するが、日赤だろうと誰だろうと、おかしいものはおかしいというほかない。そこには、極めて単純な数字の矛盾がある。この矛盾の方が、日赤などの権威よりもはるかに強いのである。
まず、簡単に戦時中の日赤の救護看護婦について基本的なことを述べておく。
日赤は、陸海軍大臣からの要請を受けて、救護班を編成し、各地の軍病院などに送った。ごく一般的に大雑把に言えば、一班には2人の婦長、20人の看護婦、1人の男性(少年など)の使丁、そのほか男性の書記がいる場合があるという編成であり、救護班の約9割が看護婦であった。日赤の看護婦は、看護婦養成所を出ると、12年間、「戦時召集令」の赤紙が来れば、それに従って従軍しなければならない義務があった。一回の任務はおよそ2年である。『朝日新聞』記事および近衛忠Wの文章によると、先の戦争で看護婦の伝染病などの罹病者は5,000人近く、死者は1,120人であった。
救護班の実人数という時、それは救護班に編成され派遣されたことのある「個人」の数であり、Aさん、Bさんという個人一人ひとりを数えたものであり、日赤によれば、その数は26,535人ということになる。救護班の任期はおよそ2年で、救護看護婦は一つの任期が終わると、別の班に召集されて、次の任務に入ることになる。こうして、召集される都度数えたものが延べ人数である。従って、二回召集された人は、二回数えられている。日赤によれば、それは35,785人である。延べ人数の数え方には何種類か考えられるが、救護班の実人数・延べ人数と普通に言う時の意味は以上に述べたものとしか考えられない。ほかに、どのようなものが思い浮かべられるだろうか。しかし、日赤の言う数字は、この意味からはずれた極めて疑わしいものである。
『日本赤十字社社史稿』という日赤が出している社史のシリーズがある。その第5巻に先の大戦中の記録が収められているが、そのpp.150-178に、「昭和一二年〜二〇年派遣救護班調べ」という表が載っている。戦時救護班毎に、編成および解散日時、編成人員、勤務地を記したものである(以下、救護班リストと呼ぶ)。派遣が中止された班を除いて、その総数は961班、うち1班は改編とあり、それを除くと960班になる。
このリストに続くページに「12年7月〜20年8月 派遣救護班一覧表」という表がある(以下、救護班一覧表)。本部や支部毎に、医師・婦長・看護婦などの種別毎の救護班員の数を記したものである。その総数は、960班、33,156人となっている。救護班リストに続いて一覧表が掲載されているので、一覧表は救護班リストの内容を本部や支部、班員の種別毎にまとめたもののように見えるのである。しかし、そうではない。救護班リストに記されている班員数を派遣された全班について合計すると、22,163人であり、一覧表の数字33,156人と一致していないのである。10,000人以上というこの差は何なのか。『社史稿』には何の説明もない。
これらの数字は、最近の日赤が言っている数字、実人数26,535人、延べ35,785人という数字に近いことが容易に見てとれる。すると、『社史稿』のリストと一覧表の数字は、実人数と延べ人数の少し古い数値だろうと見当が付くのである。
『社史稿』の22,163人と最近の26,535人の差は、おそらく、交代要員のことが大きいのだろう。従軍看護婦の手記などを見ると分かるが、任地で働く救護班員の中には、病気などの理由で召集解除になり、帰国する者がいた。その代わりに新たな者が班に送られる訳である。救護班リストには、このような交代要員の数は含まれていないが、最近の数字には含まれているのだろう。幾つかの手記などを読むと、交代要員は一班に1〜2人程度。これで、22,163人と26,535人の差の多くが説明できるだろう。およそ、26,535人=22,163人+交代要員数、ということになる。
しかし、最近の実人数26,535人という数字は、信用できない。というのは、リストの22,163人という数字、それは延べ人数であり、最近の26,535人という数字もまた延べ人数に違いないからである。
およそ、戦争体験を記したかつての救護看護婦の手記を読むと、どの人も二度三度と召集を受けている。例えば、『朝日新聞』の記事には、日赤香川支部の上海派遣第79班に加わった石田猛子(たけこ)という人が出てくるが、彼女は3回召集を受けている。
従軍看護婦には、日赤の救護看護婦が担当することになっていたようだが、戦争が拡大するにつれて、その数は不足し、陸軍は独自に看護婦を雇用しているし(陸軍看護婦または志願看護婦)、日赤もまた養成期間を短縮し、既に看護婦の資格ある人に3か月程度の教育を施したり(臨時看護婦)、より若く養成期間の短い看護婦を養成したりして(乙種看護婦)、従軍看護婦の「量産」に努めている。だから、従軍可能な日赤看護婦は、ほとんど全て従軍させられたのであり、およそ1943年以前に日赤看護婦になった者は、二度三度と召集を受けたと考えねばならないのである。
救護班リストの22,163人、あるいは最近の26,535人という数字には、こうして、二度三度と召集を受けた人が加算されている筈である。一体、救護看護婦が何回召集されたのか、その全貌は分からないのだが、平均して2回とすれば、救護班員の実数というものは、およそ、26,535人の半分、13,268人ということになる訳である。
実数だと言われていた26,535人が、実は延べ人数だとすると、延べ人数だと言われていた35,785人という数字は何なのだろうか。これが分からない。
『社史稿』の一覧表の数字33,156人は、リストの22,163人を1.5倍した数値にかなり近い。22,163 * 1.5 = 33,246。
このことから推測して、次のように考える。日赤では、各年次毎、支部毎に戦時救護員として勤務した者の統計を取っていた。1回の勤務は約2年だが、それは3年に渡る。その数字を合計すると、実員の3倍になる。日赤は、1回の勤務は約2年ということから、それを半分にした。それが一覧表の数字であるという訳だが、はたして、この通りであるかどうかは分からない。このほか、『従軍看護婦たちの大東亜戦争』巻末にある「派遣救護班の地域別・年次別活動状況」という表なども、リストと比較するとその内容が意味不明である。
日赤は、陸海軍大臣からの要請を受けて、救護班を編成する。『社史稿』には、陸海軍大臣から受けた文書番号などの記載があるが、具体的なその内容は記されていない。しかし、班の数や班員の数などは日赤側で決められるようなものではないだろうから、日赤はただ要請(命令)された通りに班を編成した筈である。班の数や班員の数などは日赤にとって「絶対的」な数字であり、リストの班員の数はまず正確であろうと思われる。このことは、従軍看護婦の手記などに記された班員数からも確認できる。私が知っているのは5班程度に過ぎないが、リストの班員数と手記の班員数は一致している。
このほか、『社史稿』には、救護看護婦の養成数なども載っており、そういうデータの一つをのちに示す。日赤看護婦は養成所を卒業すると1年間その日赤病院に勤務することを義務づけられていたともいう。それから、日赤以外の病院に移る者もあり、結婚して家庭に入る者もある。戦時中は日赤病院は軍病院のようになっていたらしいから、召集されたのは日赤病院に勤務していない者であったろう。そのほか、班員の年齢とか、そういったもろもろのことも検討する必要がある。しかし、ここでは長くなるから、それには触れないことにする。実数が公表数の半分というのはあるいは少なすぎるかもしれない。いずれにせよ、公表数よりはずっと少なかったことは確かである。
日赤は、半官半民というが、今でもそうなのだろう。しかし、そういう「官的」な組織であっても、その公表するものは、あやしいものである。以上のほか、リストなどにあやしい点があることは、「偽りの青葉地蔵尊」のあとがきに書いておいたから繰り返さない。一体、日赤は、何故あやしい数字を公表するのだろうか。実数が半分になれば被害率が倍になる。そういうことを隠すためか。また、陸軍看護婦と日赤救護看護婦を区別すべきことは、近衛忠Wも述べている。陸軍看護婦については、いつまでもその実態が不明と書かれ続けているが、『軍国の女たち』p.70によると、日赤の救護看護婦を含めて、従軍看護婦の総数は約50,000人と推測されるとある。陸軍看護婦の数については、延べ人数ではなく実人数に近いものだろう。というのは、陸軍看護婦については、2年などという制限がないから。そうすると、数からいっても陸軍看護婦の比重はずっと高かったということになる。日赤は、そんなことをゴマ化すためにあやしい数字を出しているのではないか。だが、こんなことは根拠のない勘ぐりに過ぎない。確かに言えることは、日赤が真面目ではないということである。
私は、日赤というものに対して不信感を持っている。しかし、現在日赤がどんなことをしているかもよく分かっていないのだから、ここではこれ以上とやかくは言わないことにする。
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戦後60年以上が経ったというのに、一体いつまであやしげな数字をのさばり続けさせておくのだろうか?