
北朝鮮の未来と拉致問題2007.5.17 |
私は、『アジア太平洋戦争に よる/おける 行為の哲学』の最終章で、北朝鮮と中国のことに触れる予定を立てていた。私が、アジア太平洋戦争について考えて来たことは、何も日本および日本人特有の原理を使っている訳ではないのだから、その応用としても少しだけ北朝鮮と中国のことに触れてみたいと思っていた。現在、私は十分詳しく北朝鮮のことを知っているとは言えないが、最終巻刊行までにできるだけ調べて知識を加えて、自分の考えというものを記すつもりだった。しかし、この最終の第3巻はいつ出るのか現在のところ見通しは立っていないし、そうこうしているうちに、ミサイル実験や核実験のような北朝鮮をめぐる情勢は変化して行くことだし、ここで、北朝鮮そして拉致問題について自分の考えというものを述べておこうという気になった。
昨2006年の北朝鮮のミサイル実験と核実験で、日本は、現在北朝鮮について経済制裁の最中である。この状態は、拉致被害家族会は望ましく思っていることだろうと思う。家族会は、北朝鮮に対して断固とした経済制裁をと一貫して主張して来た。日本だけの制裁では効果がないという話だったが、拉致問題が理由ではないが、多くの国が加わって経済制裁が実効あるものになり、それが今(2007.4)では対話ムードからそれも揺らいでいる。
それにしても、私は家族会に訊いてみたい。かつて、イラクのクェート侵攻から湾岸戦争が起こり、結局イラクが敗れて、各国の経済制裁にさらされたが、その間、その経済制裁によって、イラク国内では数十万人が死亡したということである。もし、北朝鮮に対して、同じような実効ある経済制裁が長く続いたなら、同じように何十万人という人が死ぬだろう。はたして、それが、あなた方が望んでいることなのか、と。
この質問はいささか意地が悪いことは承知している。ならば、どうすればよいのだ、と言うに違いない。このまま何もしないでいる訳にはいかないのだ。私たちには時間がないのだ、と。私たちは、北朝鮮で多くの無関係の人が死ぬことは望んでいない、そうなる前に北朝鮮政府が誠意ある態度を見せることを望んでいるだけだ、とも言うだろう。しかし、もし、そうはならず、悪い結果だけが生じた場合、あなた方は仕方がなかったと言ってそのことを正当化するのだろうか?
私は、北朝鮮について、ただ拉致問題のことだけを考えるという訳にはいかない。そして、私が北朝鮮のことを考える時、かの国が、かつての、戦前の、日本によく似ていることを思わないではいられない。丁度、戦前の日本の天皇を「将軍様」に置き換えるなどして、全てを北朝鮮風にアレンジすれば、そのまま現在の北朝鮮という国になるように見える。私は、世の中の論者というものが何故このことを言わないのか不思議に思う。私の知る限り(極めて限られているが)、このことを語ったのは、かつてニュースステーションをやっていた頃の久米宏と野球監督の野村克也だけで、野村克也は例のぼそぼそぽつりと洩らしたのに過ぎない。随分前の話である。何故このことが大切なのか。それは、かつての日本というものを調べることで、現在の北朝鮮という「病気」を治療する手段・方策というものが見い出されると考えるからである。
1990年代にわたって、北朝鮮は大規模な飢饉にみまわれ、150〜300万人が死んだということである。おそるべき数字である。アフリカなどで大量死はしばしば起きている。しかし、中国・インドをはじめ、さらにベトナムが注目されるなど、経済が好調といわれるアジアの国々の中に、どうしてこのような国があるものだろうか。何故、北朝鮮が世界の最貧国の一つになっているのだろうか。「金王朝」があるせいだと、多くの人は考えているのかもしれない。私は、それに反対はしない。ただ、それだけが核心だとは言わないのだ。
北朝鮮という体制は、階級の原理、遺伝子主義の原理が濃厚である。そして、飢饉のような災害は、これらの原理を支えるのである。それを説明するのは難しくはないが、話すと長くなる。とにかく、それは、私が人間の行為というものから、そして、アジア太平洋戦争を含めた日本の歴史の事例から見出したものである。そして、かつての日本の軍国主義を思い起こさせる北朝鮮の「先軍政治」、これらが相関連して、北朝鮮という現在の体制を成り立たせ、その行為を導いているのである。
過去の日本の事例から見るなら、北朝鮮という「病気」を治療する手段の一つが、かの国に軍事的敗北を与えることだということが分かる。その有効性は日本の歴史において実証されているのである。かの国の国民がいかに固く正しいと信じている何ものかがあろうと、軍事的敗北によって、それらは簡単に覆ってしまうだろう。かつての日本がそうであったように。そうして治療されるのである。
かつて、久米宏は北朝鮮が戦前の日本に似ていると言ったあとで、戦争に負けることでしか日本は変わることができなかったと付け加えたものである。しかし、それだけが唯一の治療策ではない。そのことは、かの国が成り立っている原理を考えれば分かる。不思議ではないか。かの国は、飢饉でいかに多くの人が死のうと、敵を屈伏させるまで戦う、などと言っている。一体、かの国は何のために存在しているのか。「金王朝」を存続させることがそんなにも彼らに大事なことだというのか。そんなことはない。集団が集団として存続する目的は、その集団メンバーの幸福にしかありえない。かの国には、そのことを歪めるような特別な条件があるのだ。もし、北朝鮮のメンバー一人ひとりが死の脅威にさらされず、自らの幸福というものをみつめることができるようになれば、かの国は必ずや変わって行く。戦いだけが唯一の策ではない。武力を行使して、北朝鮮を打ち破ること、それは、病気の治療でいえば、外科手術にあたる。それに対して、食餌療法といったものもある。手術のような即効性は期待できないが、それで治療できないというのでもない。私はそのように考えるのだ。
北朝鮮がどこかに戦争をしかける。そんなことは実際のところ、まず考えられないことである。その相手が友好国のロシアや中国であることはない。北朝鮮が日本・韓国・アメリカのいずれかを攻撃し戦いが起こるなら、その戦争は、少なくとも日本・韓国・アメリカ連合との戦いになる。そんな戦いは起さない。かつての日本のアメリカとの戦争は無謀な戦争と言われ、その通りと言うしかないが、それでも当時の日本にはまだ多少の希望というものがあったものである。大東亜共栄圏という経済自立ブロックを構築するという希望である。現在の北朝鮮にはそんな希望すらない。
北朝鮮の暴発などということが言われるが、「暴発」したなら、手っ取り早く戦争が起こって、かえってよいというものかもしれない。しかし、「暴発」はない。かの国のミサイル実験や核実験も、アメリカなどに攻撃された場合の防衛のためというだけに過ぎない。
北朝鮮のミサイル実験や核実験を受けて、わが日本が攻撃されたらどうするのか、またその場合、アメリカが本当に守ってくれるのか、などという声が上がった。私たちは未来に何が起こるのかなど確実なことは分からない。私たちはあらゆる事態について考えておかねばならない。しかし、こうしたことを安易に口にするのは、ただおろかなこととしか思えない。
北朝鮮が日本を攻撃することはまずない。それに何の利益もない。また、その場合、アメリカが日本に代わって北朝鮮を攻撃しないこともまずあり得ない。アメリカという国はいかに「正義の味方」ぶっていても信用ならず、結局自国の利益のことだけを考えているというのは大体正しいであろう。しかし、もし、北朝鮮が日本を攻撃して、アメリカが北朝鮮を攻撃しないのなら、日本はパートナーとしてのアメリカを見限るだろう。アメリカの国益からいってもアメリカはそんなことはしない。日本にとって、アメリカには、とにかく、ある程度のアメリカ人兵士を殺してもらい、できるだけのことをしたのだという態度を見せてもらわねばならない。アメリカはそうするだろう。
北朝鮮との戦争ということでは、確か韓国の元高官だったと思うが、韓国がその中心的な役割を務めるしかないというようなことを言っていた。その通りだと思う。そして、韓国にとって、北朝鮮と戦争するなんてことはできるものとは思われない。
アジア太平洋戦争で、韓国・朝鮮人の死者は約20万人という。それに対し、朝鮮半島が戦場になった朝鮮戦争では、数字は明確ではないが、200万人位が死んだという。韓国の首都、メガシティのソウルは、
国境からあまりに近い。北朝鮮との戦争ということになれば、極めて甚大な被害は避けられない。韓国が、北朝鮮との戦争を避けようとするのは極めて当然である。それなら、韓国の取り得る方策はただ一つ、いわゆる「太陽政策」だけというものである。それは、食餌療法である。北朝鮮のミサイル実験や核実験があっても、それに変わりはないのである。
日本にとっても同じである。軍事的脅威が増したのだから、それなりの対処を考えるのは当然だが、その一方で、日本の取りうる基本的な手段も「太陽政策」しかあり得ないというものである。
ここで、拉致問題に移ろう。
私は、もともと拉致問題というのは大した問題ではないと思っていた。当時、小泉〔首相〕の訪朝によって、拉致問題が公になったのち、私の義兄は、いつまでも拉致問題で騒いでいるといって嘆いていたものである。当時は日本経済が低調であった時期で、経済問題の方がより重要ではないかということのようであった。私の考えていたのはそれとは違う。が、やはり拉致問題というのは大した問題ではないと思っていたし、今でもそう思っているのである。
拉致問題は大した問題ではないなどと言うと、お前は人の命を、人生を何だと思っているのか、そうことをいう人が決っと出てくるのに違いない。しかし、それなら私は言いたい。人の命を軽視しているのは私ではなく、あなたたちであると。
狂牛病については、ここでは直接関係ないから多弁しないが、アメリカの多分役人が、狂牛病によって死者は出ていないとか、交通事故による死者よりもズット少ないとか、そういう発言をしたことがある。日本のマスコミは即座に反撥したが、交通事故のことは、人の命ということに関して、私がすぐに思い描くもので、私には我意を得たりという思いがしたのである。
交通事故の死者については、一時期、一万人を超えていたのが、近年は数千人にまで下がって来ている。しかし、去年そうであったように、今年もまた、さらにまた来年も、同じように数千人の死者が出ることは間違いがないだろう。ところで、私たちは、この交通事故による死者を減らせる極めて簡単な方法を知っている。物体の衝撃力は速度の二乗に比例するから、速度を80%にすれば、衝撃力は64%になる。それだけ死者も少なくなる。ものごとにはさまざまなことが関わるから、こんなに簡単には行く筈はないが、法定速度を現在の80%にしさえすれば、36%とまではいかなくても相当程度、交通事故による死者を減らせることになるだろう。仮に10%としても数百人である。極端なことを言えば、速度ゼロつまり車を使わなければ、交通事故死というものはなくなる訳である。人の命が何よりも大切だと言うあなたたちは、どうして、そのようにしないのだろうか? そんなことはできない。そんなことをすれば、経済活動に支障をきたすというのか? それなら、経済活動の効率というものとバランスしなければならないということなのか? 人の命を守ることは、何よりも大切であるというのはウソだったのか?
拉致も同じことではないか。その解決も、さまざまなこととのバランスを考えなければならない筈ではないか。
人間には色々不思議なことがある。大量破壊兵器がいけないといって、生物化学兵器にはそれほど大量に人を殺したという「実績」はない。その一方で大量の少量破壊兵器は見過ごされる。同じ死であっても病気や事故による死は報道されないが、殺人となると報道されて大騒ぎをする。病気や事故に比べて、殺人となると将来のはっきりした危険性が残るからだが、それ以上に人の注意を惹きつけるものがあるのだろう。人間の関心は奇妙に歪んで着色されているが、私は、基本的に、何ごとも将来に起こる可能性というものを基準に据えて考えるべきだと思う。
そうして、将来の北朝鮮による拉致の危険性といものを考えてみるなら、再び北朝鮮が拉致を実行する可能性はないというのは明らかである。北朝鮮はとにかくも拉致があったことを認めて謝罪し、二度と起こらないようにすると約束した。その約束を踏みにじるような「不名誉」なことはしない。日本人拉致の目的は、日本人を装う工作員の教育のためであった。しかし、いまやその必要はない。衛星放送のアンテナとチュ−ナーさえあれば、北朝鮮内で日本のテレビ放送を見ることができる。最早、工作員教育に日本人は必要としないのである。将来、北朝鮮による拉致が発生する可能性は低い。だから、私は、拉致問題は大した問題ではないと言うのである。
残っているのは、現実に拉致されて戻って来ていない、おそらくは数十人の問題(それから、北朝鮮帰国事業に伴って北朝鮮に行った日本人妻とその家族の問題)だけである。その拉致された人数はといえば、たかが数十人ではないか。経済効率とかと言って、多数の交通事故死を当然のものとして来たあなた方にとって、微々たる数というものではないか!
私は拉致問題は大した問題ではないとは言うが、放っておいてよいと言うのではない。そんなことは言わない。そんなことを言えば、集団メンバーのひとりひとりの幸福のために存在するという、民主主義の(暗黙の)約束に背くことになる。ただ、交通事故死において経済効率のことも考えねばならないように、ただ拉致被害者を取り返すというそのことだけを考えるという訳にはいかないというのである。そして、それは少数者の問題であるとして、解決されずに終わる事態も覚悟しなければならないと言うのだ。
私は、実際、不思議に思う。日本および日本人にとって拉致問題は大した問題ではないように、いや、それ以上に、北朝鮮にとっては大した問題ではない筈である。北朝鮮は日本人が満足するようにそれを解決して、日本から「人道物資」などの援助を受けた方がより一層好ましい筈ではないか。どうして、北朝鮮はそうしないのか? おそらく、テレビなどが報道したように、日本人拉致は金正日の指令によって行われたというのは確かなのだろう。北朝鮮は、拉致問題を突っつかれて、金正日の「悪行」が明るみに出ることを恐れているのではないか。
だから、私は思う。拉致問題を解決する近道は、拉致の実行に関わったどんな人についてもその責任は一切問わない、そして日本は、制裁を解除しさらに十分な援助を与える、その代わり、生存している拉致被害者とその家族は日本に帰国させ、死亡した者についてはその十分な証拠を示してほしい、そのように北朝鮮と秘密交渉を行うことである、と。
別に秘密交渉でなくともよい。しかし、このような交渉内容が明らかになれば、国内から一斉に反撥の声が上がるだろう。政府がその声を無視できようとは思われない。国内のみではない。世界中から非難の声が湧き起こるだろう。日本はテロに屈した、と。むしろ、金正日政権を助けることをしているのだと。
何故、そのようにしてはいけないのか? 私たちが私たちの集団のメンバーを救って何故いけないのか。かの国でどんな政治が行われ、誰がその頂点に君臨しようがどうでもよいとしては何故いけないのか?
どうでもよくはない。私たちは北朝鮮に暮らす人のことも考えなければならない。しかし、私たちは、当の北朝鮮に暮らす人、そして韓国の人よりは、ずっと、そのことは軽く考えることも当然ではあるのだ。
ここで、「北朝鮮問題」を解決する二つの方策のことを考えてみよう。私は、「北朝鮮問題」そして「拉致問題」を解決するために、所謂「太陽政策」を考えるのは極めて当然であると考える。経済制裁をやめ、かの国が望む「人道援助」にさらにオマケをして与えてやれ(一般人にそれが行き渡ることを監視できるのが望ましい。北朝鮮赤十字があてにならないのは、過去の日赤を見れば明らかなことである)。それが何故いけないのか? その一方でかの国の不正行為はやめさせる必要があるにしても。北朝鮮が核兵器を持っても、同じことである。かの国がどこかの国を攻撃するなどということはとても考えられないことなのだから。
しかし、私は、日本が「太陽政策」に転じることは予想していない。どうやら安倍〔総理〕の頭にあるのは、国際的な日本の地位とか、国のメンツとかそういう意識だけのようである。家族会の好きな安倍政権はそういうことはしないだろう。家族会は、やがて、安倍政権のいうとおりにして拉致問題が解決するだろうかと疑いを持ち、何らかの分裂も起こるかもしれない(中身までは知らないが、近頃、家族会は安倍に利用されたという週刊誌の記事があったようだ)。しかし、家族会は、拉致問題を解決すると言っている限り、安倍政権を支持し続けるだろう。彼らは、自分たちが拉致問題の解決のためにならないことをしていることを知らないのである。あるいは、知っていてもどうすることもできないのか。だが、「太陽政策」への転換は、安倍政権でなくとも難しいだろう。近頃、山崎拓〔議員〕が単独で北朝鮮を訪問するということがあった。それに対して、パフォーマンスだ、二元外交だなどといって、マスコミなどはどちらかと言えば批判的であったようだが、私には分からない。彼の言うことは正しく、話し合いのパイプは常に持っているべきだと思う。また、ミスターXみたいな訳の分からぬ人物が必要だというのでは話にならぬ。
未来は誰にも分からない。北朝鮮がこのままでよい筈がなく、将来必ず北朝鮮は変わる、確かなのはそれだけである。いつまでも金正日は生きていない。そのあとを継いだ彼の「皇太子」によって変化が生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。北朝鮮をめぐる二つの方策、「太陽政策」と「武力策」は、その明確な姿を取るだろうか。それとも、どっちつかずのまま様子見が続けられるのだろうか。その何れが取られるにしても私たちは後悔することを覚悟しなければならない。あの時、北朝鮮を攻撃しておくべきだった、もっと「太陽政策」を進めるべきだった、あるいは、とにかく何かをすべきであった、と。
私の考えは既に述べた通り、秘密交渉と「太陽政策」を進めるべきだというものである。しかし、私の予想するところでは、このようなことは起こらない。おそらく「拉致問題」は手遅れということになるのだろう。その時、そのことが明らかになった時、私たちは自らに言い訳することができるだろうか、自分たちに出来ることはして来たのだと。