辻潤年譜 Tada of Alangri-Gloriban 2008.6.30版について |
「辻潤年譜 Tada of Alangri-Gloriban」2007.5.31版を公開してから、一年以上が経過した。決して十分な年譜ではなかったのだが、私は辻潤研究者などという者ではなく、単なるシロウトのつもりだったから、それによって、辻潤および辻潤周辺について、一般に広まっているものにはマチガイが多いのだと注意を喚起できれば、それでよいというところであった。それで一旦は辻潤年譜作成を止めようかとも思ったのだが、さらに続けようと思い直したのは、辻潤が上野高女で教えたことに関する謎、及び『実験教育指針』に文章を載せることになった経緯が全く不明で、それが気になったからであった。
今度の年譜でも、残念ながら、それらの残された課題に対して大きな進展はなかったのだが、結構そのほかの部分について追加し改めた部分があり、前の年譜のマチガイも段々増えて来た。マチガイと分かっているものを公開し続けるのもナンなので、ここで更新することにした。
今回の版作成では、前の版と比べると、辻潤の文章に対する信頼性が低下した。辻潤は「おもうまま」で、ほかの人が書かないようなことも書くと述べていて、正直・率直な人という印象を持ち、辻潤の文章を信頼していたのだったが、今回はそれほどでもないと思えて来た。辻潤と伊藤野枝の恋愛について、私は伊藤野枝の書くことにはフィクションがあるのではないかと疑っていた。それも、辻潤の「ふもれすく」をより信頼したからである。しかし、今回は、伊藤野枝の書くことには整合性があり、事実に近いものとみなすことになった(勿論、多少の思い込みが入るのはやむを得ない。それで、私は伊藤野枝に好感を持った)。
今回の版も依然暫定版である。あまり確実でないことも含まれているが、どの程度確実でないかは記したつもりだから、それで構わないことにした。
シロウトのつもりということは既に述べたが、誰か年譜作成を継続してくれる人がいれば、私は私の集めた資料を全て提供するつもりである。現在、整理中だが、スキャナーで取り込んだ資料は一枚の DVD に収まる程度である(圧縮はしてある)。しかし、考えてみると、そういう人は出てきそうもなく、たとえいたとしても、自分自ら検討を加えなければ納得できにくいようにも思えて来たので、今は自分にできる限り続けるつもりになっている。調べるべきことは多く、その手掛りのないものも多いが、幾らかあるものであっても、なかなかそれに取り組めない現状であるが。
前の年譜との違いは、補足で示している。