著作権について |
「辻潤のひびき」の中で、私〔Forme de l'ete〕が書いたり写真に撮ったり作成したものには、著作権がない、訳ではないのだろう。著作権法というものをみていないので、かなりいい加減なことを言うことになるが、日本の著作権法によれば、どんなものでも公表した時点で著作権というものが自動的に発生してしまうらしい。いくら私が著作権を放棄するといっても、はたして法的にそんなことが可能なのかも分からない。ただ、ここでは、著作権に関わるコピーとか配布とか、そのほか一切のことをしようとする人に、私は暗黙のうちに許可・承認を与えることを、私個人として約束する。それが、誰であろうと、またどんな目的であろうと構わない。メンドウだから。そして、そうした行為について私は何の責任も持たないという条件のみつける。どんなふうに加工してもよい。ただ、オリジナルの作成者の記述を残しておいた方が何かとよかろうとのみ言っておく。
実際、私は、著作権を放棄しない。ただ、誰かがこのページの何かについて独占的に著作権を主張するようなことがあった場合の、その対抗策としてのみ、それを保持する(まずないと思うけど)。
私は、著作権というものをおそろかにしようというのでもないが、現在の著作権法というものも決して公正とはいえないところもあると思う。例えば、ある人が20歳の時にある作品を発表し、その年死んだとすれば、その作品は50年著作権法で守られることになる。他方、別のある人が同じように20歳の時にある作品を発表し、100歳まで生きたとすれば、その作品は、その人が生きていた80年と死後の50年を合わせて130年著作権法の保護を受けることになる。このような差は、はたして公正・公平だと言えるだろうか?
要するに死後50年などというのは簡便法であって、それは死後に発表された作品についてはどうするかなどの問題をあっさり片付けるのに便利な方法というのに過ぎない(死後に発表された作品は別扱いかもしれない)。実際のところ、著作権法の対象単位を人から作品にしても、そんなに大きな問題というものは発生しないだろう。ただメンドくさいだけで(相当メンドウと言うべきか)。
それに、どんな創作物に対しても一律に著作権で縛ることに私は反対する。例えば、戦争体験手記集などに手記を寄せる人の多くは、ただ自分の体験を知ってもらいたい、その体験を後世に活かしてもらいたい、要するに、自分の体験をできるだけ多くの人に聞いてもらいたいということだけが願いなのではなかろうか。その著作物から何らかの利益に関わること(ドラマ化・映画化、そのほか)が発生することはまずないし、またあっても。それは筆者にはどうでもよいことだろう。そういう筆者の書いたものなどに対しても、一律に著作権法を適用させることは、表現の自由の重大な侵害だと考える(特にネット上の創作物について)。
「辻潤のひびき」の内容に関して、私の願うのはただ必要と思う人に見てほしいというだけであり、実質的には著作権というものを放棄する。このページの中で特に著作者の明記のないものは、全て私の創作物であり、それら全てに当てはめられる。