私が、特に「辻潤年譜 Tada of Alangri-Gloriban」を作成するためには、当然、図書館を利用した。自分が持ち、または新たに購入した本は一部に留まる。
研究書のような本の中には、あとがきに図書館への謝辞を記しているのをみたことがあるし、ある図書館の利用案内には、当図書館の資料を利用して何かを書いたら、そのことをその中に明記してほしいというようなことが書いてあったようだ。しかし、私はそんなことはしない。そういう義務があるのだろうか、と思う。それに、そんなことを書くなら、どこの図書館でどの資料を見たということまで書かないと意味ないだろうと思う。そんなことなら、今はほとんどの公共図書館の蔵書検索がインターネットから比較的容易にできるから、そんな必要もあんまりないだろうと思う。ただ、気仙沼図書館については、現在のところインターネットから蔵書検索ができないので、ここに記しておくのも無意味ではなかろうと思う(気仙沼近辺の人しか役に立たないだろうが)。
「辻潤年譜」の中に書いたが、辻潤の『絶望の書』の「序」の終わりの文句「あなかしこ、にいおろか。」、特に最後の「にいおろか」が、どういう意味なのか、私には分からなかった。「にいおろか」は、もともとは「にひおろか」だったのではないかと思われて来た。それで、どうしても、原本の『絶望の書』を見てみたいと思った。たかがそんなことだったが、「パリの辻潤――辻潤の絶望をめぐって」という文章も書いていたので、余計に見てみたくなった。インターネットの蔵書検索で岩手県立図書館に『絶望の書』があることが分かった。それで、それだけが目当てという訳でもないが、盛岡まで行ってみた。岩手県立図書館には、確かに『絶望の書』があった。けれでも、肝腎の「序」のところのページがなかった。困った。もしかしたら、気仙沼図書館にはあるかもしれないと思った。何といっても、菅野青顔がかつて図書館長だった図書館だから。辻潤の碑文の写真を撮りたいこともあって、いやいやな感じだったが気仙沼に行った。そして、気仙沼図書館の開架には勿論のこと、図書検索カードにも、『絶望の書』はなかったのだったが、図書館の方が書庫に案内してくれたので、そこで、『絶望の書』とそれからほかでは見れなかった幾つかの本を見ることができた。そこの『絶望の書』には、ちゃんと「序」のページがあった(誰かがイタズラ書きをしていたが)。それで、『著作集』・『全集』では「にいおろか」となっているのが、もともとは「にひおろか」だったことが分かったのだった。やれやれ。
ほかに気仙沼図書館にあったもので参照したのは、以下のものである。
『辻潤集』2巻 近代社
大沢正道、編『虚無思想研究』上下巻 蝸牛社
『虚無思想研究』星光書院 (戦後、第2期)(2)〜(4)
そのほか、参照しなかったが、辻潤の著作では『ですぺら』2冊があったが、かなりいたんでいる。春秋社の『阿片溺愛者の告白』があるようで、そのほかにもあったかもしれない。
辻潤関係では、『辻潤著作集』全巻、ただし月報はなかったようだ。『本の手帖』第5巻第4号 「特集 辻潤の人と思想」があった。
時間がなかったし、覚えているのはそんなところである。これら辻潤関連の本は、菅野青顔が気仙沼
図書館に寄贈したものであることは、『菅野青顔全集』第6巻から分かる。
気仙沼は菅野青顔などの影響で辻潤を知っている人も多かったし、戦後間もない頃だろうか、地方のすぐれた図書館ということで新聞にも載ったということだが、今では昔日の面影はほとんどないだろう。それは、『菅野青顔全集』が気仙沼図書館にはないことからも明らかである。当然というものだろう。
インターネットによる蔵書検索やスキャナーと文字認識ソフトがなければ、とてもこんなことはやれないという感じがする。そういうもののなかった昔は、どこにどんな資料があるのかということも、勉強や研究の対象であったのだろうと想像する。しかし、バカバカしい話である。私たちが未来を展くために頼りとなるものは過去の資料だけなのである。だから、著作権の切れたような本は誰でも自由に(タダでとは言わないまでも安価で)インターネットなどから容易く手にすることができて当然だと考える。
私は、資料を整理するためにも、集めたものを全てスキャナーでパソコンに取り込み、CD-R なり DVD-R に保存しようと思っている。万が一その中の資料がほしいという人は、メールをいただきたい。そのうち分けることができるだろうと思う。ごく一部ならメールに添付したいと思うが、繁雑になる可能性があるし、メール添付には少しサイズが大き過ぎるだろうと思う。予定が未定だが、用意が出来次第メールで知らせることにしたいと思う。