辻潤のひびき

 

旧装開店

辻潤はもはや一つの意味だ。意味だとおもうものにとってのみ……。

辻まこと

 Nihilist がInverted Idealistであることは、今さら説明の要もない位明らかなことだ 辻潤は遥々と巴里へきて、酒を呑まず、淫売も買わずにひたすら思想の奈落に転落しているのだ
 ――
 世の中が不景気で大多数の人達が困っているのに、自分がなんにもせずに毎日酒を飲んでアフラアフラしているように思われることはあまり愉快なことではない。しかし、私はそう思われても別段たいして苦にはならない。自分は夙に人生に対して「白旗」を掲げて生きている人間だからである。

辻潤

 人の精神には、そういう場所がある。白旗を掲げてよいという場所がある。
 どういう場所か?
 辻潤は、そこにいた。
 そして、かつて萩原朔太郎は、そこにいた辻潤に対して、「Ecce homo(その人を見よ)」と呼ばったのだった。
 しかし、そこは、人からの嘲りと自己愚弄に満ちた場所。
 誰も長くそこに居続けることは出来ない。
 だから、安息を求める者は、辻潤を踏み板にして、その上に憩い給え。
 そして、安んじ得たなら、見渡せよ。道が見えたら、踏み出せばよい。



2007.5.31
Last update : 2009.4.18

Forme de l'été
(fode@infoseek.jp)

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